新曲「振鈴」
2023_03_30
1分程の録音サンプルを元に作品化した「竹炭」に続き、インドのベルも作品化し
「振鈴(しんれい)」という曲にしました。
「竹炭」と「振鈴」、共にコモンズの「私のスケッチ」企画で録音した音を練り直したものです。
「私のスケッチ」企画自体は抽選に外れたのですが、良い音が録れたので作品にしないともったいないと。
鈴は牛や馬などに付ける用で、輸入雑貨屋に行くと、もう一回り大きい象に付ける鈴も売ってたりもするのですが
値が張るので止めました。
肉厚で低い音がする、日本ではあまり見ない感じの鈴です。
その音をメインに、家にある道具、部材などの音と合わせました。
気に入った道具や部材は普段からストックしているので、憶測で相性を合わせてみるといった感じです。
楽器や楽器音源とも合わせてみたりもしますが、浮いてしまったりする事も多く
最近は、わざとはっきりと対比させて、その面白さを引き出すといった使い方が多いです。
もしくは逆に、分からないくらいうっすらと使って、全体のニュアンスを少し変えるとか。
全体的にパーカッシブな感じがありますが、リズムと言うにはあまりに雑然としています。
はっきりしたリズム、メロディ、ハーモニー、更に歌詞が無いと、一般的には「どこをどう聴いたらいいの?」と
なると思います。
それに関しては「音の有様そのままに聴く」「五感入力として聴く」ということかなと。
フィールドレコーディングなども、そういう楽しみ方だと思います。
「何も鳴っていない」と思っても、エアコンの音、冷蔵庫の音、パソコンのファンの音、遠くの道路の音
かすかでも何かしらは音は存在します。
「音をそのまま捉える耳」になっていないと、そういった音は無いものになってしまいます。
楽器以外の音も何気なく意識に入って来る様になると、世界が広がって相当楽しいです。
「音楽が論理や計算めいて(必要以上に演出めいて)聞こえる」とか「音をそのまま捉えるとは?」とか
以前からモヤモヤと感じてはいたのですが、最近読んだ教授と福岡さんの「音楽と生命」と
教授監修の「コモンズ:スコラ~ピアノへの旅」という本の中で分かり易く解説されていて
なるほどと腑に落ちました。
saegusa

1分程の録音サンプルを元に作品化した「竹炭」に続き、インドのベルも作品化し
「振鈴(しんれい)」という曲にしました。
「竹炭」と「振鈴」、共にコモンズの「私のスケッチ」企画で録音した音を練り直したものです。
「私のスケッチ」企画自体は抽選に外れたのですが、良い音が録れたので作品にしないともったいないと。
鈴は牛や馬などに付ける用で、輸入雑貨屋に行くと、もう一回り大きい象に付ける鈴も売ってたりもするのですが
値が張るので止めました。
肉厚で低い音がする、日本ではあまり見ない感じの鈴です。
その音をメインに、家にある道具、部材などの音と合わせました。
気に入った道具や部材は普段からストックしているので、憶測で相性を合わせてみるといった感じです。
楽器や楽器音源とも合わせてみたりもしますが、浮いてしまったりする事も多く
最近は、わざとはっきりと対比させて、その面白さを引き出すといった使い方が多いです。
もしくは逆に、分からないくらいうっすらと使って、全体のニュアンスを少し変えるとか。
全体的にパーカッシブな感じがありますが、リズムと言うにはあまりに雑然としています。
はっきりしたリズム、メロディ、ハーモニー、更に歌詞が無いと、一般的には「どこをどう聴いたらいいの?」と
なると思います。
それに関しては「音の有様そのままに聴く」「五感入力として聴く」ということかなと。
フィールドレコーディングなども、そういう楽しみ方だと思います。
「何も鳴っていない」と思っても、エアコンの音、冷蔵庫の音、パソコンのファンの音、遠くの道路の音
かすかでも何かしらは音は存在します。
「音をそのまま捉える耳」になっていないと、そういった音は無いものになってしまいます。
楽器以外の音も何気なく意識に入って来る様になると、世界が広がって相当楽しいです。
「音楽が論理や計算めいて(必要以上に演出めいて)聞こえる」とか「音をそのまま捉えるとは?」とか
以前からモヤモヤと感じてはいたのですが、最近読んだ教授と福岡さんの「音楽と生命」と
教授監修の「コモンズ:スコラ~ピアノへの旅」という本の中で分かり易く解説されていて
なるほどと腑に落ちました。
saegusa

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新曲「竹炭」
2023_03_21
以前、出先で竹炭を購入し、記録サンプルとして作った1分ほどのトラックを
練り直して「竹炭」という作品にしました。
1パック250円、竹炭は木炭より形状が薄くて、硬度が高いのでシャリシャリした繊細な音がします。
実用的には、消臭以外に水道水のカルキ抜き、細かく砕いてプランタの土に混ぜて植物の成長などに使います。
使用後は、水洗いと天日干しで再生します。
曲の高音は竹炭のシャリシャリを鳴らし、低音には庭石の音と水の入ったボトルの音を使いました。
生活の中や自然では聞かない不思議な音の組み合わせではありますが
実在音を使っているにも関わらず、そのことで少し現実から浮いた感じがします。
音を鳴らす(演奏の?)規則性としても、ちょっとつかみどころが無い感じですが
音が常に鳴っていて、意識的に「こう来て、こう来る」みたいに音を追える様に編集しています。
そこがまた、環境音の様にも聞こえますが、自然には無い音の鳴り方で不思議な感じがします。
今回は編集も今までに無く繊細に行い、不思議で美しい作品になったかなと思っています。
人工的な楽曲としてはちょっと崩壊してる感じがするけど、自然のものでも無い、その中間といった感じです。
音楽でも環境音でも無い不思議な音作品、そこが美しいんじゃないかと。
それと、聴いていて膝からガクガクと崩れ落ちそうな妙な感じもありますね。
つかみ所が無い曲構成、ガクガク(ギクシャク)した音(演奏)は、時間解釈と凄く関係しているのですが
話が長くなるので、次の機会に。
類似する音楽性のものが、あまり市場に見られないのですが、教授がアルバム「async」や「12」について
「もの派の考え方から来ている」と言ってましたが、僕も大きく共感します。
「async」は2017年、「12」は2023年ですが、僕の「living environment」は2019年
「fragment」は2022年なので、同時期に向かっている方向が近かったのかなと。
(僕のアルバムは制作に2年程掛かっていますので)
まあ、大巨匠に向かって方向性が近いとは失礼かと思いますが。
ですが今も、ありのままの「もの」そのものに素朴な美しさを感じています。
それをどう具体的に音にするかは、人によってそれぞれ違うと思うのですが。
そして、どの曲にも言えることなのですが、曲を作った後で「あそこをもう少しこうしておけば良かった」と
思うことが良くあります。
それは、アルバム制作の際にいつも最終手直しをしているので、アルバムでは多少曲の印象に
変化があるかもしれません。
なので、本来はアルバムで初めて曲を開示するのがベストなのかもしれないですね。
自分の場合は、ここ数年Radio Sakamotoのオーディションがあったのと
「曲もその時の記録」という考えから1曲ごとに試聴として開示していたのですが。
Radio Sakamotoの番組自体はは終わってしまったのですが、その都度曲に対するリスナーの反応を
うかがえるということもあって、これからもそうしようかなぁと今は思っています。
saegusa

以前、出先で竹炭を購入し、記録サンプルとして作った1分ほどのトラックを
練り直して「竹炭」という作品にしました。
1パック250円、竹炭は木炭より形状が薄くて、硬度が高いのでシャリシャリした繊細な音がします。
実用的には、消臭以外に水道水のカルキ抜き、細かく砕いてプランタの土に混ぜて植物の成長などに使います。
使用後は、水洗いと天日干しで再生します。
曲の高音は竹炭のシャリシャリを鳴らし、低音には庭石の音と水の入ったボトルの音を使いました。
生活の中や自然では聞かない不思議な音の組み合わせではありますが
実在音を使っているにも関わらず、そのことで少し現実から浮いた感じがします。
音を鳴らす(演奏の?)規則性としても、ちょっとつかみどころが無い感じですが
音が常に鳴っていて、意識的に「こう来て、こう来る」みたいに音を追える様に編集しています。
そこがまた、環境音の様にも聞こえますが、自然には無い音の鳴り方で不思議な感じがします。
今回は編集も今までに無く繊細に行い、不思議で美しい作品になったかなと思っています。
人工的な楽曲としてはちょっと崩壊してる感じがするけど、自然のものでも無い、その中間といった感じです。
音楽でも環境音でも無い不思議な音作品、そこが美しいんじゃないかと。
それと、聴いていて膝からガクガクと崩れ落ちそうな妙な感じもありますね。
つかみ所が無い曲構成、ガクガク(ギクシャク)した音(演奏)は、時間解釈と凄く関係しているのですが
話が長くなるので、次の機会に。
類似する音楽性のものが、あまり市場に見られないのですが、教授がアルバム「async」や「12」について
「もの派の考え方から来ている」と言ってましたが、僕も大きく共感します。
「async」は2017年、「12」は2023年ですが、僕の「living environment」は2019年
「fragment」は2022年なので、同時期に向かっている方向が近かったのかなと。
(僕のアルバムは制作に2年程掛かっていますので)
まあ、大巨匠に向かって方向性が近いとは失礼かと思いますが。
ですが今も、ありのままの「もの」そのものに素朴な美しさを感じています。
それをどう具体的に音にするかは、人によってそれぞれ違うと思うのですが。
そして、どの曲にも言えることなのですが、曲を作った後で「あそこをもう少しこうしておけば良かった」と
思うことが良くあります。
それは、アルバム制作の際にいつも最終手直しをしているので、アルバムでは多少曲の印象に
変化があるかもしれません。
なので、本来はアルバムで初めて曲を開示するのがベストなのかもしれないですね。
自分の場合は、ここ数年Radio Sakamotoのオーディションがあったのと
「曲もその時の記録」という考えから1曲ごとに試聴として開示していたのですが。
Radio Sakamotoの番組自体はは終わってしまったのですが、その都度曲に対するリスナーの反応を
うかがえるということもあって、これからもそうしようかなぁと今は思っています。
saegusa

