新曲「園庭」
2023_06_07
「園庭」という曲を作りました。
日用品や雑貨を集めて録音したトラックを組み合わせて
更に公園でフィールドレコーディングした音を合わせてみました。
日用品や雑貨の音は、適当に鳴らして録音したトラックを並べて、細かく切り刻んで
相互のトラックの関係性を見ながら配置して行きました。
なので、普段良く聞く環境音の音色ではあるのですが、天然では(自然界には)あり得ない
トラックになっていると思います。
ギクシャクした、「意思を持った環境音」みたいな。
この少し変で不思議な状態を僕は「意識と無意識の中間」
「制御が程良く効いている状態」と仮定しています。
これらは編集によるトラック構築なので、テレビの映像編集の様に
「素材Aの○○分○○秒~○○分○○秒までを使って、素材Bに繋ぐ」とか
「一拍空けて次の素材に移る」とか、間合いで曲を繋いで行きます。
これをやって行くと、音楽理論とは相性が悪いと言うか
能動(音を発する)と受動(素材を扱う)は逆の行為なので、構築ノウハウも変わって来ると思います。
制作プロセスも大きく変わって来ます。
DAW編集という、自分と分離した時間軸を自由に扱える様になったここ20~30年で
作り手の立場においても「主観的に音を発すること」と「客観的音をに聞くこと」が
対等に(同じ価値を持つ行為に)なった気もするのです。
また、メロディが無くノイズ作品に近い感じもするのですが「音がピタッと止まってブレイク」とか
「風が吹いて来て展開」とか、曲展開と言えるのか変化のパターンもあるため
どう捉えて良いのか、ちょっと戸惑う人も多いのではないかと思います。
ただの音と音楽の境の定義って、僕の中でもそんなにはっきりとはありませんが
定義から外れたものが新鮮に聞こえるというのは、常にあると思います。
シンセの音も入れようと色々試みたのですが、今回は入れる隙がありませんでした。
「音色の質感」「偶発パターンの面白さ」に重心を置くと、音楽が入って来る隙が
無くなくなって来て、でもそれはそれで充足感があります。
「無理して音楽にしようとする必要は無いな」と感じている近頃です。
ちなみにキーキー鳴っているのは、コーヒーミルです。
その他、高域はリズム的な役割で箸、カピスシェル、フルーツポンチの果物くり抜き器
中高域はカットオフフィルターの様な役割でガラスボール、植木鉢など。

saegusa
「園庭」という曲を作りました。
日用品や雑貨を集めて録音したトラックを組み合わせて
更に公園でフィールドレコーディングした音を合わせてみました。
日用品や雑貨の音は、適当に鳴らして録音したトラックを並べて、細かく切り刻んで
相互のトラックの関係性を見ながら配置して行きました。
なので、普段良く聞く環境音の音色ではあるのですが、天然では(自然界には)あり得ない
トラックになっていると思います。
ギクシャクした、「意思を持った環境音」みたいな。
この少し変で不思議な状態を僕は「意識と無意識の中間」
「制御が程良く効いている状態」と仮定しています。
これらは編集によるトラック構築なので、テレビの映像編集の様に
「素材Aの○○分○○秒~○○分○○秒までを使って、素材Bに繋ぐ」とか
「一拍空けて次の素材に移る」とか、間合いで曲を繋いで行きます。
これをやって行くと、音楽理論とは相性が悪いと言うか
能動(音を発する)と受動(素材を扱う)は逆の行為なので、構築ノウハウも変わって来ると思います。
制作プロセスも大きく変わって来ます。
DAW編集という、自分と分離した時間軸を自由に扱える様になったここ20~30年で
作り手の立場においても「主観的に音を発すること」と「客観的音をに聞くこと」が
対等に(同じ価値を持つ行為に)なった気もするのです。
また、メロディが無くノイズ作品に近い感じもするのですが「音がピタッと止まってブレイク」とか
「風が吹いて来て展開」とか、曲展開と言えるのか変化のパターンもあるため
どう捉えて良いのか、ちょっと戸惑う人も多いのではないかと思います。
ただの音と音楽の境の定義って、僕の中でもそんなにはっきりとはありませんが
定義から外れたものが新鮮に聞こえるというのは、常にあると思います。
シンセの音も入れようと色々試みたのですが、今回は入れる隙がありませんでした。
「音色の質感」「偶発パターンの面白さ」に重心を置くと、音楽が入って来る隙が
無くなくなって来て、でもそれはそれで充足感があります。
「無理して音楽にしようとする必要は無いな」と感じている近頃です。
ちなみにキーキー鳴っているのは、コーヒーミルです。
その他、高域はリズム的な役割で箸、カピスシェル、フルーツポンチの果物くり抜き器
中高域はカットオフフィルターの様な役割でガラスボール、植木鉢など。

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