musical journey
「今どんな音楽やってんの?」って聞かれる事が最近よくある。その度に僕は答えに窮する。
高校生の頃から歌を歌い始め、色んな音楽を聴いてきた。そのつたない記憶のどこをほじくっても今の音楽に直接的に繋がるものがないからだ。
僕の音楽遍歴を時系列的にざっくりと並べていこう。
高校の頃は絵に描いたようなパンク少年だった。ブルーハーツに始まりラフィンを経て一気にスターリンまで駆け上がった。頭の中ではいつもノーフューチャーとかアナーキーとかの言葉が繰り返されジョニー・ロットンと太宰治がヒーローだった。ガンズも好きだったけどその音楽性もさることながら反社会的なイメージにしびれた。
大学に入った頃からオルタナ系に移行していった。ジザメリ、プライマルスクリーム、シャーラタンズ、レディオヘッドやストーンローゼズが輝かしい青春を彩った。アイドルは太宰からカフカに置き換わりジョニー・ロットンはジョン・ライドンになって僕の中のスターの座をボビー・ギレスビーに譲った。その後当時在籍してたバンドからペイルセインツのサイトオブユーにイメージが合わないという理由でクビになった。まあ相変わらずジョニー・ロットンくらい歌が下手でシド・ヴィシャスくらいとんがってたから当然と言えば当然だ。それで当時所属してたサークルの合宿や定期演奏会などでその場限りのバンドを作り、ピストルズとかストーンズとかドアーズとか歌ってた。ちなみにそのサークルには一年上にヤンキー先生の義家さん、三年先輩にはミッシェルガンエレファントのチバさんもいた。
その後興味の対象が音楽から文学に移り、別ブログでも書いたが卒論のテーマに60年代のアメリカ文化を選び、ほぼ一年図書館にこもってケルアックやギンズバーグを読みながらウォークマンでドアーズやジャニスやジェファーソンエアープレイン、ディランを聴きまくってた。
30歳以上の大人を信じるなと叫ばれてたカウンターカルチャーを25年後に大学の図書館で追体験した僕はジム・モリソンやジャニス、ブライアン・ジョーンズ、ジミヘン、カート・コバーンみたく1999年に27歳で死ぬのかなと考えてたが21世紀はちゃんとやってきてほどなく僕は押し出されるようにして30歳になった。
ちょっと永くなって来たんでこの続きはまた今度。
Yu
高校生の頃から歌を歌い始め、色んな音楽を聴いてきた。そのつたない記憶のどこをほじくっても今の音楽に直接的に繋がるものがないからだ。
僕の音楽遍歴を時系列的にざっくりと並べていこう。
高校の頃は絵に描いたようなパンク少年だった。ブルーハーツに始まりラフィンを経て一気にスターリンまで駆け上がった。頭の中ではいつもノーフューチャーとかアナーキーとかの言葉が繰り返されジョニー・ロットンと太宰治がヒーローだった。ガンズも好きだったけどその音楽性もさることながら反社会的なイメージにしびれた。
大学に入った頃からオルタナ系に移行していった。ジザメリ、プライマルスクリーム、シャーラタンズ、レディオヘッドやストーンローゼズが輝かしい青春を彩った。アイドルは太宰からカフカに置き換わりジョニー・ロットンはジョン・ライドンになって僕の中のスターの座をボビー・ギレスビーに譲った。その後当時在籍してたバンドからペイルセインツのサイトオブユーにイメージが合わないという理由でクビになった。まあ相変わらずジョニー・ロットンくらい歌が下手でシド・ヴィシャスくらいとんがってたから当然と言えば当然だ。それで当時所属してたサークルの合宿や定期演奏会などでその場限りのバンドを作り、ピストルズとかストーンズとかドアーズとか歌ってた。ちなみにそのサークルには一年上にヤンキー先生の義家さん、三年先輩にはミッシェルガンエレファントのチバさんもいた。
その後興味の対象が音楽から文学に移り、別ブログでも書いたが卒論のテーマに60年代のアメリカ文化を選び、ほぼ一年図書館にこもってケルアックやギンズバーグを読みながらウォークマンでドアーズやジャニスやジェファーソンエアープレイン、ディランを聴きまくってた。
30歳以上の大人を信じるなと叫ばれてたカウンターカルチャーを25年後に大学の図書館で追体験した僕はジム・モリソンやジャニス、ブライアン・ジョーンズ、ジミヘン、カート・コバーンみたく1999年に27歳で死ぬのかなと考えてたが21世紀はちゃんとやってきてほどなく僕は押し出されるようにして30歳になった。
ちょっと永くなって来たんでこの続きはまた今度。
Yu
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